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いわゆブログ

心豊かにすることを、メモしていきます。

なぜ人には「孤独」が必要なのでしょうか。

紅白歌合戦の評判が悪いですね。大半の人は好意的、もしくはどうも思ってないのでしょう。批判するエネルギーって強いので、どうしてもそちらが目立ちますよね。そんなに悪かったですかね。

私なんか、初めて?最初から最後まで、ほぼ通しで見ました。真面目なNHKだからこそ、ああいったグダグダ感が微笑ましくてイイのに。(SMAPの事情も関係しているのか分かりませんが。)

普段はテレビを見ないので、偉そうなこと言えませんが、「見ている人を楽しませよう。いつもと違う発想を取り入れよう。」という姿勢は大いに評価すべきではないでしょうか。

そんなことを思いながら、無事に1年を締めくくりました。

年末年始って、様々な事をゆっくりと振り返ることができますよね。今回はその中から1つ、「孤独の意味」について、改めて整理することにしました。

そもそも孤独ってなんでしょうね。

  1.  仲間や身寄りがなく、ひとりぼっちであること。思うことを語ったり、心を通い合わせたりする人が一人もなく寂しいこと。また、そのさま。「孤独な生活」「天涯孤独」

  2.  みなしごと、年老いて子のない独り者。

    こどく【孤独】の意味 - goo国語辞書

私も、物理的な意味と、心理的な意味での「独り」2つタイプがあると思います。

物理的とはまさにその通り。物理空間に一人でいる状態。

で、心理的の方は例えば、学校でいじめを受けている子。教室には何人もの人がいるけれども「孤独。」です。

イジメられた経験はないのですが、そのどちらの孤独もよく分かるのです。

なぜなら私、一年ほど引きこもりしてたからです。当時、勤めていた会社を嫌になって辞めて以来、自尊心を保てず、人に会うのが本当に億劫だったのです。

「自分でそういう道に進んだんじゃん。」と言われれば、ぐうの音も出ません。が、この時、私は物理的な意味でも、精神的な意味でも、とにかく「孤独」でした。

これじゃいけない、でも外に出られない。そんな問答を毎日繰り返してました。この生活ヤバいなと思ったのは、独り言をつぶやく機会が異常に増えた時でしたね。

当時のことを長々と話すのは控えますが、今日は料理を作る、部屋を掃除する。など本当に何でもない目標をクリアしながら小さく小さく前進して、抜け出しました。

復帰直後のこと、すごく印象に残っています。

人と会話をすると、じわーーーっと脳みそ熱くなっていくのが分かるんですよ。血が脳の中に流れ込んでくる感じ。

それもそのはずで、「会話」という行為は、相手の言葉を聞き取り、その言葉を頭の中でイメージに変換し、今度は逆に、自らの意見を言語化し、声に出して伝える。

それだけでなく、相手の表情、しぐさ、または周りの雑音を遮断するなど、膨大な情報を脳で処理しなければなりません。かなり高度な作業なんです。

人と話す大切さは、こういう意味もあったのか、と身にしみて理解しました。

また、社会に出ると、当然ながら女性と関わる機会も増えます。ボディータッチのようなこともあるのです。

恥ずかしい話、その頃、何気なく女性に触れられた時、自分でもビックリするほど体が熱くなりました。

歌手の方みたいに、うまく詩にできませんが、電気が走るという表現あながち間違ってはいません。

あれは恋愛映画でも、今でいうVRでも得られる感覚ではないでしょうね。科学的にも根拠のある話らしく、人は身体が触れ合うことで、何ちゃらドルフィンという幸せ物質が分泌されるみたいです。

そうして私は積極的にまでは、なれないけれども、「人と関わるっていいなあ。」と感じました。

これは、物理的な意味での孤独を味わったからこそ、得られた感覚でした。

次は、心理的な意味です。

引きこもりから抜け出して、人と関わる機会が増えても「孤独感」というのは、そう簡単に拭えたものではありませんでした。

やはり、孤独なんです。

でもそれが少しずつ解消されていったきっかけは、仕事なんです。

話の前に、私は、社会復帰して最初に入った会社をわずか3ヶ月で辞めてます。その後、色々あって、とある食堂で働くことになりました。

自尊心のかけらもなかった当時、営業所の所長はじめ、多くのパートさん。職場の皆さんが、本当に温かく受け入れてくれました。

相手のネガティブな過去を、いちいち詮索しない。失敗して恥ずかしい姿を晒しても、バカにしない。とにかく寛容な方々でした。純粋に、私を受け入れてくれている。

そうして心理的な「孤独感」が和らいでいったのです。こんな職場に出会えるなんて、今考えても、運に恵まれていたと思います。

つまり、何が言いたいかというと、こうです。

心理的な孤独を解消するためには『居場所』が必要だということです。

居場所とはなにか。

それは「行ってらっしゃい」と「おかえり」が共存する空間です。

何かチャレンジしたいと思った時は、力強く背中を押してくれる。でも、ダメだったときには温かく迎え入れてくれる。そんな雰囲気がありました。

似たような言葉に『居心地』という言葉がありますが、それは「行かないで、帰ってきて」という意味です。その点において居場所とは決定的に異なります。

と、ここまで「どのようにして孤独を解消してきたか」を振り返ってきました。「孤独」にならない努力はやはり大切です。昔話で言うと、死刑よりも厳しい罰が、流刑だったとも言われてます。それくらい孤独というのは人の心を蝕むものであります。

が、その一方でこうも思うのです。

むやみに孤独を解消することは、良くない。

自分に限って話すと、私は今でも、意識的に孤独な状況に身を置くようにしてます。ルール化しているわけではないのですが、寂しいからといって闇雲に人に会うことはありません。

別に、ストイックに何かに打ち込むためではありません。情けないですけど、私には将来の夢とか希望とか目標とかありません。何度頑張っても、それらを血肉化することができません。

ですが、あの時抱いた「人っていいなあ。」「居場所があるってありがたいなあ。」という感覚だけは、絶対に忘れたくないのです。いつまでも胸に刻んでいたいのです。

だからこそ、孤独と向き合っているような気がします。

やはり孤独というのは「人を愛するために」とても大切なものなんです。