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いわゆブログ

心豊かにすることを、メモしていきます。

新聞も読めない私が何故、『テキスト』に魅了されるのだろうか。

別段、読書が得意なタイプではない。

最初の何ページか読んだら、違うことをやりたくなって内容が頭に入ってこなくなる。

それでも私は「テキスト」が好きである。

優しいからだ。

見たい時に見れる。理解できるまで、待ってくれる。

読者を残して1人、先に行くような真似は、決してしないのだ。

電話と比較すると分かりやすい。

都合は全て、かける側の論理で成り立っている。要件もフタを開けるまで分からない。何だか、空港に放置されたキャリーケースのようだ。

プライベートなら、まだしも。仕事ともなれば、もはや暴力である。今、自分が何をしていようが関係ない。有無を言わさず、相手のペースに引きづり込まれてしまう。

前もって計画して、作業を移行するのとは、脳のエネルギー消費が、まるで異なる。

消費というより、急激なタスク変更は、脳を傷つける。

例えるなら、激しいハンドル操作を行ったゴムタイヤと同じだ。

仮に、会話の長さが1分であったとしても、単純に1分だけを費やしたことには、ならない。激しい脳の消耗によって、1時間、2時間後の生産性にまで影響するのだ。

かといって、事前に「いついつ、これこれの件で、電話するね。」と、約束さえすれば済む話かと言えば、そうでもない。

確かにそれだけで、受け取る側の負担は、かなり減る。

がしかし、電話が優しくないと感じる、もう一つの理由がある。

それは、瞬発力がものを言う点だ。

極めて個人的な事情になるが、私は頭の回転がよくない。

加えて『コミュニケーションする』ことを得意としない。それをしているだけで、もはやアクセル全開状態なのだ。

結果、行為そのものに必死で、相手の言っている内容に集中できず、聞き逃したりすることが多々ある。

言うまでもなく『声』は、一度流すと、跡形もなく消えてしまう。一発勝負だ。先程のような状況に陥ってしまった場合には、『ワンモア』を要求せねばならないのだ。

これは相手にとっても、尋ねる側に取っても、ストレスである。

少し話はズレるが、私はお腹の底から声を出すと、すぐさま疲れてしまう。

普段は、なるべく消耗しないよう、最小限の音量で、人と会話をする。

フルマラソンは4時間を切る体力がある。筋力もそれなりに蓄えている。

物理的なスタミナと、それは、うまく比例しないようだ。不思議なものである。

話を戻そう。

一方の『テキスト』は、ワンモアが常に用意されている。

理解できなければ、もう一度読めば良い。「あれ言ったっけ?これ言わなかったけ?」そんなことをいちいち記憶する必要もない。それそのものが、列記としたメモになる。

いつだって、おバカに寛容なのである。そして私も、その態度を見習って、優しい言葉を紡いでいきたいと思っている。